
多方面に活躍している全国のペタンク愛好家を取材し、「ペタファイル」というシリーズで定期的に連載しています。
それでは早速インタビューを始めていきましょう。
今回ペタファイル第6弾の取材を受けてくださったのは、岡山県在住の佐野裕二さんです。
Petafile006 佐野裕二 さん
-Yuji Sano-
1990年、岡山県清音公民館で勤務していた際、生涯スポーツとして紹介されたペタンクと出会う。その後猛練習に励み1999年第4回ジャパンオープンで優勝。2009年には地元総社市で世界と戦えるクラブを目指し、「ソレイユペタンククラブ」を結成。その後日本代表として国際大会に出場した経験をもとに、ペタンクの普及とジュニア選手の育成に力を注いでいる。現日本ペタンク・ブール連盟理事、選手強化部長。
日本一を目指せると聞いてやる気に
まずはペタファイルの取材を受けて下さった方皆さんにお聞きしている、ペタンクとの出会いについて教えてください。

ペタンクと初めて出会ったのは1990年のことです。
当時私は岡山県の清音公民館に勤めており、生涯スポーツを担当していました。
そこでニュースポーツの研修を受けたのですが、その時に初めてペタンクを経験しました。
今までに野球やバドミントン、テニスなど様々なスポーツをやってきましたが、それらとは全く異なる奥の深いスポーツだと直感し、魅力を感じたことを覚えています。

その後すぐにペタンクにハマり、休みの日に遊んでいた時のことでした。
広島県のペタンクのレジェンドである酒井一郎氏の
「ペタンクはしっかり練習すれば日本一になるチャンスがある。」
という夢のある言葉をきっかけに、ペタンクでの「日本一」を意識するようになりました。


その後自宅の庭にペタンクコートを作って、仲間たちと一緒に練習を始めました。
日本一を目指すにあたって、目標に定めた大会は「ジャパンオープン」でした。
ジャパンオープンは毎年ゴールデンウィークに開催されている、国内でもっとも大きな大会の一つであり、全国から強豪ペタンク選手が頂点を目指して集まります。
ペタンク選手であれば、一度はジャパンオープンでの優勝を夢見るのではないでしょうか。
私は3度目の挑戦となる1999年の第4回ジャパンオープン大会で、ついに念願の初優勝することができました。
優勝の副賞として、その後ペタンクの本場フランスのミヨーの大会にも出場しました。


ダブルスでは2度勝利し、現地の大会で3回戦まで進出することができました。
さすがに本場のペタンクのレベルは高かったですが、とても刺激的で忘れられない経験となりました。

日本一を目指せると聞いてやる気に
佐野さんはペタンクで全国制覇をされたあと、日本代表として国際大会にも出場されていますよね。
ペタンクで日本代表を目指すにあたって、どのような準備をされたのでしょうか。
また日本代表に選ばれたのちに出場した、国際大会での貴重な経験についてもお聞かせください。

2009年に地元岡山の総社市で、「ソレイユペタンククラブ」を正式に発足させました。
地元のメンバーを中心に新しいチームを作り、その時に今度は全国制覇だけではなく、世界を目指せるチームを作ろうと決意しました。
まずは環境作りとして、自宅の庭に砂利のペタンク場を新設しました。


最大で4試合同時に行うことができます。
砂利の地面で私たちが意識して練習したことは、ダイレクトティール(直接相手の球を弾く技)と、どんな試合環境であっても対応できるポルテ(高い弾道で投げる技)です。
どちらも難易度が高くすぐに習得できるわけではないですが、チームメンバーと高い目標意識を持って取り組みました。
着実な努力が実を結び、その後のジャパンオープンでは「ソレイユクラブ」のチームメンバーと合計4度の全国制覇を成し遂げることができました。
特にダブルスの部では、私が指導したジュニアクラブ出身の選手と優勝することができました。
師弟関係でチームを組んで、優勝した時は本当に感無量でしたね。


当時勢いに乗っていた私たちは、2014年に開催された世界選手権大会の選考会で優勝し、念願の日本代表の権利を勝ち取ることができたんです。
初めての世界大会に、チームメンバーの士気も上がり本番に向けて調整をしていた時でした。
悲しい知らせが入ってきました。
当時世界中で流行していた「エボラ出血熱」の感染拡大により、残念ながら世界選手権大会も中止になってしまったのです。
当時とてもショックを受けたことを覚えていますが、私たちは諦めませんでした。
翌年2015年のアジア大会選考会でもトップ通過し、再度日本代表に選出されたのです。


やっと世界大会の舞台に立つことができた私たちは、開催国であるタイへ出向きました。
結果は一次予選は突破したものの、二次予選で王者タイチームと対戦し、何もできずに大敗してしまいました。
そのときに感じた、強豪国とのレベルの差を今でも鮮明に覚えています。
特に東南アジアのタイを筆頭に、カンボジアやラオス、ベトナムなどの強豪国と比べて、日本のペタンクにおける技量の遅れは歴然でした。


私たちチームも本番の緊張感の中、練習通りの力を発揮し高確率でティールを成功させることができました。
しかし表彰台に入るような強豪国は、ティールが当たることに関しては、
「当たり前」なんです。
その上で、次々にカロー(ティールの後自分の球をその場に残す)を連発するのです。
ティールが当たっても、カローにならなければ勝てないことを痛感しました。
しかしこれも、その後日本に帰りジュニア選手の育成をしていく上で、大きく役立つ貴重な経験となりました。
全国制覇の次は世界のペタンクに挑戦
佐野さんは選手から今度は監督コーチとして、今はジュニア選手の育成に力を注がれていますよね。
国内で本格的にジュニア選手の育成をされている指導者は少ないように思いますが、どのようなきっかけで始められたのですか?
またどのようなことに意識しながら日々子どもたちの指導をされていますか?

2009年にチュニジアで開催された世界ジュニアペタンク選手権大会に監督として初参加しました。
その際にもやはり世界との実力の差を実感していました。
そして強豪国と対等に戦うためには、ジュニアの育成に力を注ぐ必要があると思いました。
海外では優秀なジュニア選手が、そのまま成長してシニアの選手として活躍しているケースが多いです。
日本でもジュニアの選手層を厚くすることで、世界と戦える経験豊富な選手を育てたいと考え、2011年には「ソレイユジュニアクラブ」を結成しました。


②砂利のコートを用意する
③毎週の定期練習の実施

指導者になると、自分のペタンクは思うようにできなくなります。
しかし本気で指導者になる以上は、世界に通用する選手を育てる覚悟が必要になります。
ペタンクは競技の年齢制限がなく、いつまでも第一線の選手として生涯現役で戦えるので、引退する選手が少ないです。
これはペタンクの素晴らしいところですが、同時に引退して指導者になる人が増えない原因でもあります。
私の場合は、もともと小学校の教師を目指していたので、子どもが大好きということもありました。
なので大好きなペタンクで、自分が選手として戦う側から今度は指導する立場になることに対して、抵抗はあまりありませんでした。
ペタンクを通して明るく元気で、仲間を大切にできる子どもたちを育てたいという想いも大きかったように思います。


指導者の確保の次は、砂利の練習場所を用意することです。
これは先ほど述べた通り、世界で戦うペタンクスキルを砂利の地面を通して身につけるためです。
そして最後は、定期練習を実施すること。
習慣にするためにも、毎週の練習日を定めてメンバーと集まりましょう。